トラウマとジャーナリズム

A Japanese-language version of the Dart Center publication "Trauma and Journalism."

本冊子は個人的な使用のために複写できる。ただし、テキストを変更しないこと、ダートセンターからの引用であることの明示を条件とする。その場合、費用は課せられない。



──────────────────────────────────────
はじめに
トラウマとは何か
トラウマを取材する――ジャーナリズム
ニュースを仕入れる
  取材の申し入れをして、情況を設定する
  インタビュー
ニュースとは何か
ジャーナリズムの第二章
記事を書く
強姦や性暴力を報道する
地域での外傷的な出来事を報道する
トラウマに関する最悪の決まり文句
トラウマを取材する――ジャーナリスト
ジャーナリストの心の傷
外傷的になり得る出来事を扱う
  回復力を維持する――セルフケア
    トラウマを管理する――その前、中、後
    注意すべきこと
    急性ストレスに気づくには
    危険因子
  痛みを感じたらどうするか
  終わりに
  付録
   武力紛争と戦争を報道する
    家を離れる
    そこにいる間
    家に戻る
    編集者と管理職
   家族とパートナー
    仕事の前
    仕事の間
    仕事の後
   トラウマの映像を取り扱う
   女性、暴力と戦争
   アルコール:どの程度で摂り過ぎか
  より詳しい文献
  謝辞
──────────────────────────────────────



はじめに

交通事故と航空機墜落事故。自然災害。飢饉と戦争。犯罪と殺人。洪水。暴動。児童虐待と拷問。強姦と性暴力。大量虐殺。

そして、こうした出来事の後に続くものすべて。喪失。死別。人としての極度の苦悩。

トラウマはニュースの――そして人の状態の中心にある。どのように報道したかによって、その場にいなかった人は、ある外傷的な出来事にどのような意味があるのか初めて理解する。個人的に。家族や愛する人にとって。彼らの共同体や国にとって。まさに、まとめると、世界にとって。

トラウマのジャーナリズムは重要であり、ジャーナリストにはニュースを確実に伝えるという重大な責任がある。ジャーナリストの仕事は、死や負傷をきっかけとする悲しみや苦しみを反射、強化、鎮静化――または悪化させることもある。

トラウマの取材は、それが重大な国際ニュースであれより近隣の出来事であれ、報道をする側にも何らかの影響が出る。

警察、消防や医療職員、軍人や救助隊員と同様に、ジャーナリストは危機や災害のとき最初に対応する職業である。しかし、その責務の心理学的な意味の認識は、このグループの中では最も遅れている。

スポーツ記者や金融ジャーナリストがその分野に関する専門知識なしで取材手帳を開かないのと同様に、暴力や惨事を取材する人もそうするべきではない。

このハンドブックは、ダートセンターが世界中のジャーナリストにおこなったコンサルテーションの成果であり、最も優れた国際的なトラウマ専門家のノウハウを凝縮したものである。私たちは、それがより良いトラウマのジャーナリズム、そしてそれを取材する人の幸福に貢献することを望んでやまない。

ジャーナリストは危機や災害のとき最初に対応する職業である。しかし、その責任の心理学的な意味の認識は、このグループの中では最も遅れている。


トラウマとは何か

進化の結果、人間は暴力と惨事に心を奪われるだけではなく、衝撃を受けるようにプログラムされた。

ニュースやジャーナリズムが出現するよりもかなり前に、トラウマ体験への反応は、私たちが種としてこの惑星でどのように生き残り、繁栄するかを決定した。

言い換えれば、聖書や古代のギリシア人からシェークスピアや第一次世界大戦時のイギリスの詩人までの文学に見られるように、トラウマ体験は人類と同じくらい古い歴史をもつ(実際、「トラウマ」という単語自体がまさしくギリシア語で、心を貫くことまたは傷つけることを意味する)。

しかし、トラウマの科学はさらにより最近のもので、19世紀後半に発展し、二度の世界大戦を経て、1980年に外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準が作られた。

そこで、ジャーナリズムとセルフケアの内容に入る前に、トラウマ状態が単にストレスが多い状態と対照的であると考えられるのはなぜか、その基本を考えることは無駄ではない。

最も広義には、心理学上の外傷的な出来事または惨事は、以下のように説明することができる。

    人が関連するあらゆる出来事のうち、予期されておらず、その人の人として体験する通常の範囲を超えていて、何らかの形の喪失、負傷または負傷の脅威に関わるもので、実際のことまたは知覚されたことである。

より狭義には、PTSDは現在、アメリカ精神医学会で以下に続くような苦痛と定義される。

    実際にまたは危うく死ぬまたは重症を負うような出来事、あるいは自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、また目撃した。または、親族や他の親しい知人が予期されない、あるいは暴力的な死、重大な危害、または死や負傷の恐怖を体験したことを知らされた。

この定義では、PTSDの人は強い恐怖、無力感、または、戦慄を体験していることになる。1ヶ月以上続くならばPTSDと診断される症状には、以下が含まれる。

  ・フラッシュバックや悪夢などの反復的、侵入的な想起、
 
  ・感情の範囲の縮小、および出来事を想起させる人物や場所の回避、
 
  ・易怒性、集中困難、睡眠障害、腹痛や発汗などの身体的症状、および過剰な驚愕反応を含む持続的な覚醒亢進症状。

PTSDは欧米に特有の概念であり、文化によってはそのような症状がみられることはまれであると主張する人もいる。そして、異文化でトラウマの扱いが異なるということも事実である。しかしながら、ほとんどの国のほとんどのトラウマ専門家が、現在、人間がトラウマに対して生まれつきもった感情の反応は、異なっているよりも、むしろより類似していると認識している。

それでも、トラウマを文脈にとどめておくことは重要である。人の極度の苦悩を取材したり扱ったりするとき、まず、多くの人がトラウマから自然に回復するということを、また回復しなかった場合でも、PTSDが、うつ病や不安、人間関係の破綻、およびアルコール依存症や薬物依存症よりも稀な結果だということを覚えておいて欲しい。

ほとんどの国のほとんどのトラウマ専門家が、現在、人間がトラウマに対して生まれつきもった感情の反応は、異なっているよりも、むしろより類似していると認識している。


トラウマを取材する――ジャーナリズム

トラウマや強い生理的生存反応は、負傷または死を目撃したり、その脅威にさらされたりしたときに起こるが、これは――自身が被害者または生存者であるか、あるいは目撃者または取材者であるかにかかわらず――個人の知覚と判断力に大幅に影響することがある。

五感から取り入れた情報の塊をフィルターにかけ、解釈して、自分なりに意味をとるのは、脳の仕事である。それは平時でも変わらない。しかし、外傷性ストレスに直面したとき――そして他の多くの要素に依存するのだが――このシステムは速やかに警告と生き残りのモードに切り替わる。人は、突然通常の自分と非常に異なっているように感じたり、振る舞ったりする可能性がある。

外傷的な出来事の目撃者が信用できないと悪評されるのはそのためである。また、熟練のジャーナリストでも感情が高揚しているときには、しばしば誤解をすることがあるのもそのためである。

自分自身が暴力や災害を目撃したり、他者(同僚や目撃者)の言葉を引用した記事や映像の編集責任者である場合、誰がストレスの影響を受けるのか常に念頭に置いておくこと


ニュースを仕入れる

    私が対応したジャーナリストの半分が驚くべき共感と理解をもって振る舞ってくれた。それは諸刃の剣であった――私は彼らにはるかに良い話ができた。同様に、私は多くの悪いインタビューを受けた。あらゆる場合に悪い体験は再トラウマ化のトリガーとなった――信頼の喪失とコントロールの喪失。――メアリー・セルフ博士。1999年、末期癌からの回復の記事が国際的な一面ニュースとなった。

良いジャーナリズム――そして、何よりも正確で公正であるということ――は、どのようなニュースを取材するにしても重要である。トラウマや人の極度の苦悩のジャーナリズムのこととなれば、これらの原則はより一層重要である。

彼らを観察することによって、より良い情報を得ることができ、あなたの話していることは嘘であるという人たちには、あなたの取材が不必要に物事をより悪い方向にもっていくことはないと確認する助けとなる。

以下の提案には、時として時間的な切迫、混乱または危険があると認められる。しかし、その原則は、地域社会で起こった犯罪や惨事を取材するときにも、戦争や地球規模の大災害について取材するときにも有効である。それらは日刊紙ビジネスに携わる人にも、調査ジャーナリストやドキュメンタリー映画制作者のように一つのニュースにより多くの時間取り組む人にも同様に関連している。


■取材の申し入れをして、情況を設定する

  ・トラウマまたはその余波に直面するときには――公私を問わず――止まって、見て、聴くとよい。場面を見て取る。気持ちを落ち着かせる。ひと呼吸する。時間をとる心構えをして気長に構える。
 
  ・人が明らかに苦悩している場面では、取材以前のこととして、時には援助や支援を提供する必要があることも認めなければならない。あなたは、何をおいてもまずは人間であり、ジャーナリストであるということは二の次なのである。同時に、あなたは救援の専門家としてそこにいるのではなく、ニュースを仕入れることによって援助ができるのだということを覚えておくべきである。
 
  ・できるだけ広い範囲の反応に備えるとよい。被害者と生存者、暴力によって死別した人、目撃者、そして「単に」その余波に直面した人、全てが、驚きとショックをもって反応する可能性がある。非常に冷淡で、理性的で、冷静に見える人もいるかもしれない。このような人々は、威厳や平静さを示そうとしているのかもしれない。
 
  ・一方、非常に感情的になっている人もいる。悲嘆と絶望にうちひしがれている人もいる。怒りの状態で、つらい人もいる。混乱していて注意が向けられず、新しい情報を取り入れることができない人もいる。固まってしまっているように見えて、話すことができない人もいる。感情の防衛が破られ、傷つきやすく、無防備で、麻痺していると感じている人もいる。
 
  ・どのように表出されても、起こったことの感情への影響は覚えておく。慎重に、敬意と思いやりをもって、人々に接する。自己紹介し、アイコンタクトをし、あなたがなぜ彼らと話したいのかを説明する時間をとるようにする。どんなに状況が混沌としていても、ゆっくりとその時間をとり、急いではならない。人にマイクを突きつけただけで、インタビューができると考えてはならない。
  ・あなたが話す相手は、人生最悪の体験に直面している可能性もある。後日、あなたが尋ねたこと、または自分が言ったことのいずれかを覚えていない可能性もある。したがって、あなたに話をするかどうかは彼らに決めてもらう。明白であるとは思われるが、報酬を提供したり、インタビューが他の人の助けになると主張したりして、圧力をかけてはならない。
 
  ・チームで動いている場合には、インタビューの前に時間をとって、チームを紹介し、話を取材する過程でのそれぞれの人の役割を説明するとよい。
 
  ・被害者、生存者、家族、友人は、彼らの世界がひっくり返された後、コントロールを取り戻そうと一生懸命になっていることが多い。そのような人のインタビューは、政治家や専門家のインタビューと非常に異なっている――したがって、会話のコントロールの感覚をつかんでもらえるようにできるだけのことをする。
 
  ・どんなに締め切りが差し迫っていても、どんなに編集者がいらだっていても、インタビューしている相手のペースに合わせ、休憩をとり、インタビューを最後まで行ってもらう。録音している場合には、言葉によらない合図――例えば手をあげるなど――で停止できるようにしておき、一息つきたいときに教えてもらえるようにする。
 
  ・故意に涙を誘ってはならないが、泣く人がいても動転しないことである。涙は苦悩への自然な反応である。泣くのは、その人が安心してあなたに話せることを示していることもある。いったん涙している時間が過ぎると、話を続けられるようになることも非常に多い。念のため、清潔なティッシュを少量持っておくと役に立つかもしれない。注意深く、丁重にティッシュを勧めてみる。
 
  ・あなたがこれらの状況で話す人が、メディアに精通しているということは稀である。彼らの話や写真がどのように使用されるのか――または全く使用されない可能性もあるということを――説明するようにする。
 
  ・依頼攻めにされる人もいて、それらの要求に対処するため法に沿った支援を必要とする場合もある。付き添いが欲しい場合、またはスポークスマンを通してメディアに対応したいという場合には、それを尊重する。
 
  ・起こったことについて気の毒であると言うのは、非難や責任から言うものではなく、きちんとした人間であれば当然のことである。しかし、同情しているように装ってはならない。状況が逆になったときにあなたがして欲しいと思うように、接する人に対応する。
 
  ・彼らが自分の言ったことが気になっているようで、十分に時間がある場合には、記録、またはメモした引用文をいくつか読み返して、話が正しく伝わっているかを確認することもできる。
 
  ・死亡または負傷している親族の写真をお願いするときには、どれを使用するのがよいかインタビューしている相手に提案してもらうようにする。どの負傷者や死者についても、家族が使用する名前を控えたか確認する。
 
  ・情況が許せば――例えば、展開の速い危機や戦闘を取材しているときにはこれができなくなることもあるが――あなたがそこにいる間にインタビューした相手に質問してもらえるようにし、念のため連絡先を教えておく。すぐに話したくない人も後日話そうという気持ちになることもある。
 
  ・要するに、ジャーナリストまたは映画制作者として、取材する話を提供してくれる人たちに対して、余計な事態の悪化を招かないようにすることである。人の極度の苦悩を報道するにあたって、失礼で軽率なジャーナリズムは許されない。

重要な配慮を一つ。愛する人の死を知る瞬間が人の人生の最も外傷的な瞬間であることもある。あなたがインタビューの申し入れをする前に、できれば、あなたが話している人が適切な筋から、起こったことについてすでに話を聞いているかどうか調べる。可能であれば、親族または親友に、そのようなニュースを最初に切り出す人になるのは避ける。


■インタビュー

優れた感覚の、良いインタビューは、むろん、いかなるジャーナリズムにおいても、ジャーナリズムを良くする中核となる。しかし、あなたがトラウマの被害者や生存者を扱っているとき、これらの技能は特に重要である。

それは単に良い質問をするということにとどまらない。それは一時的にしても、信頼と関係を築くということである――あなたと、インタビューする相手の双方が、好意をもてるようにする技能である。

  ・人に接触したり、インタビューを開始する前に、そこから何を引き出したいのかを明確にしておく。その人の体験が、どのようにあなたが探しているより大きな物語に収まっていくのか。どのような情報が必要なのか。準備と調査ができていることが重要であるが、専門知識はインタビューする相手から得るのだということを覚えておく。
 
  ・取材しているニュースのことで、神経質になったり、恐ろしくなったり、怒りを感じたりすることさえあるかもしれない。自分の気持ちに気づき、それを認めることは重要である。ただし、感情が理解を曇らせるのではなく、むしろ理解の助けになるように努めるのがよい。
 
  ・厄介な質問を尋ねてもよいかチェックする。そして、聴く。記者の犯す過ちの中でも最悪なのはしゃべりすぎである。
 
  ・積極的傾聴のスキルを利用する――インタビューする相手の動きを反映した、適切なアイコンタクト、興味や関心を示す非言語的な合図。ほとんどのコミュニケーションが、言葉よりも、ボディ・ランゲージや声のトーンを通して行われている。
 
  ・議論を構造化する――そうすることによって、インタビューする相手にもあなたにも抑制の感覚と相対的な安心感が生まれる
 
  ・自信をもって、何が起こったのか、その事実を可能な限りを明確にする。とくにインタビューの最初の段階では粘る。相手の経験、出来事の前に何があったのか、その後、何が起こったのかなど、相手に自分の経験を行ったり来たりしてもらうのもよい。
 
  ・シンプルな、自由回答形式の質問がいちばんうまくいく。単に「はい」か「いいえ」で答えることができる質問は避けるようにする。そして、一度に二つ以上の質問をしない。
 
  ・好奇心をもつ。探究の範囲を広げるような言い回しを使う。「もう少し伺ってもよろしいでしょうか」「その後、どうなったのですか」「確認させて下さい。伺っているのは…」
 
  ・よく考え直す。言い換えて、まとめて、理解できているか確認する。質問を「一つ引っかかるところがあるのですが…」から始めるようにしてみる。
 
  ・沈黙したり、間をとったりできるようにする。インタビューする相手がしていることを言葉にする。「笑顔になっていますね」など。
 
  ・最も濫用され、最も効果のない新聞記者的な質問は決してしない。「どのような(お)気持ちですか」など。涙で回答されることはあっても、一貫性のある、役に立つ、あるいは意味のある答えが返ってくる見込みはない。「どのような(お)気持ちですか」は、生存者と被害者が、最もつらく、不適切に感じると一貫して言う質問の一つである。より良い選択肢として、「今の調子はどうですか」または「その体験をしたときどう思いましたか」または「…についてどのようにお考えですか」などがある。
 
  ・通訳を通してインタビューしている場合には、インタビューする相手が言っていること全てを理解することができないこともある。しかし、この第三者は、インタビューのダイナミクスの中で重要な人物であり、インタビューする相手を安心させたり、あるいは実際に動揺させることもある。翻訳者や通訳は、それが誰であっても、言葉の意味を理解するためだけでなく本質を理解するためのパートナーとして活用する。ボディ・ランゲージや声のトーンを通して、いかに多くの情報を受信することができるかということを覚えておく。
 
  ・「過剰に共感する」傾向は危険である場合がある――あなたはインタビューしている人を救援したり、事態をより良くするためにそこにいるのではない。職業上の一線を超えて、親友や擁護者になることは、あなたのためにもインタビューする相手のためにもならない。
 
  ・可能であれば、最初に、およそどの程度の時間話すことになりそうなのかを確認する――そうすることによって、境界線が設定でき、苦悩について十分に話ができる。
 
  ・終了は明確に行うが、インタビューをどのように終了に導くかには注意する。インタビューが相手を傷つけてしまったと判断したり、インタビューの相手がやめたいに違いないと誤って決めつけたりして、突然または一方的にインタビューを中断した場合、それは相手の傷を増やすだけであることを認識する。インタビューの終わりに近づいてきたら、インタビューの相手に知らせる。どの程度時間がかかったか言う。何か他に言いたいことはないか尋ねる。まだ苦悩していることが明白であれば、今ここで援助を頼めるような人がいるかどうか尋ねる。

要するに、インタビューを正しく行えば、人々は記事に必要な情報を話してくれる可能性が高くなる。あなたのため、彼らのため、そしてジャーナリズムのためにもなる。


ニュースとは何か

科学や経済などの分野を報道するジャーナリストは、取材する分野のルールを知る必要がある。トラウマと人の極度の苦悩の分野にも、ルールと必須の専門知識がある。あなたが取材しているものが何なのか知っておかなくてはならない。

外傷的な出来事または体験の直後の余波では、関わった人たちの多くが侵入的な想起、麻痺、回避、過覚醒などのPTSDに似た症状を体験する。それは彼らがあなたと同じように人間だからである。

負傷したときに出血するように、あるいは打撲や骨折したとき痛みを感じるように、心理的な苦痛の症状は全く自然なことで、体が治癒の過程に向かっていく始まりである。

そして、ちょうど軽傷が回復するために2週間、骨折では2ヶ月かかるように、心的外傷から回復する自然なサイクルがある。一般的に、ほとんどの人が4~6週間でかなり良くなっていると感じる。

最初の段階で必要なのは、実際的な援助、人の暖かみ、安心、トラウマへの通常の反応に関する教育である。

同様に、標準的な災害のニュース自体サイクルに沿って動くことが多く、ジャーナリストとして、そのサイクルのどの部分に達したかを知るのも良いことである。それによって、下記のように特に感情が高揚しているとき、バランスのとれたものの見方を維持することができる。

・起こったことに関する衝撃が落ち着くと、最初のショック、混乱、当惑が混合した状態になることが多い。時には、文字通り言葉を失うようなこともあるだろう。

・同時に、劇的な風説が迅速に広まることがある――実際より多い死亡者数、感染や病気への恐怖、社会的崩壊の噂。このうちいくつかは事実であることもある。しかし、初期の風説や噂は、誇張されていたことが判明する場合がむしろ多い。

・非常に迅速に、救援活動が開始され、放送機器が居座るようになると、英雄的行為と禁欲の期間が続くようになる。この段階では、ニュース報道では勇敢な人、生存者、英雄的な救援隊員、復興の速い都市などにスポットがあたることが多い。また、これは――役立ち、適切であることもあるのだが――起こったことの大きさをいくらか否認することにつながることもある段階でもある。

・この初期の段階は、アドレナリンをあおることもあるが(通常数日以下)、この後に、生存者/被害者とメディアの双方が非難モードに移行することもあり、救援活動が遅い、政府の対応が混沌としている、地震で崩れる建物の耐震性が弱いなどといったことに焦点があたる。

・起こったことの規模にもよるが、数日または数週間後に、報道陣は移動し始める。メディアは他のニュースを見つける。人々は去り、元の生活に戻る。少なくともより広い大衆では、ニュースは忘れられる。

・起こったことに対して自身の感情の反応を受け入れることができた人については、ほとんどが数週間以内に通常の自分に戻っている。しかし、メディアが撤収した後も長い間、時として何年もの間、傷が癒えず、苦痛を感じる人もいる。誰もが自分なりの方法で回復する――あるいはしない。

ニュースを取材するときには、このサイクルを覚えておく。


ジャーナリズムの第二章

    私は、カメラが去った後何が起こるのか見つけることにも等しいエネルギーを注ぐべきであると信じている。この無防備な感情の日常を提供することは、ニュースの半分に過ぎない。私たちは悲嘆、怒り、涙を目の当たりにするが、私たちがその場で執着しているものからは除外されてしまうような、もっと多くの情動や感情がある。私たちの世界を本当に反映するためには、人間のより慎み深い反応を報告する必要がある。例えば、人が自らの人生を再建し、自分の身に起こったことと折り合いを付けようとする、などのように。――BBC、ピーター・バーディン。

ジャーナリズムの「第一章」が、起こったことと人々がどのような影響を受けたか――血と痛み、暴力と絶望――を即座に伝えることであれば、「第二章」はその後起こった伝えられていない物語であることが多い。

時として、そこには、癒しであったり、回復であったり、過去に立ち向かうことであったり、地域、家族、個人がトラウマを経て、新しい意味づけへと移行できるようになるといったことが含まれる。時として、それが起こらず、苦痛が残る。

いかなる余波の場合も、ジャーナリストは、読者や視聴者に、第一章と同様に第二章を伝えなくてはならない。


記事を書く

  ・災害や惨事の後には、記事をセンセーショナルに書いたり、潤色する必要はない。良い、中身のある、事実に基づくジャーナリズムと健全な量の感受性を信頼する。
 
  ・事実、引用、または詳細を勝手に曲げないように特に注意する。これらはあなたが精度、洞察、感受性をもって語る、または書かなければならない記事である。
 
  ・現在、研究では、惨事を体験した人々が彼らのニュースの報道が少ないことによって、臨床的により長期間再トラウマ化することはごく稀であるが、多くが彼らの取材された方法、特に小さな誤りであっても、それによって深く傷ついていることが指摘されている。そのため、常にそして徹底的に、事実、名称、時間、場所を繰り返し確認するようにする。
 
  ・トラウマを扱っている際には、話を全て詳細まで話してもらうことと、関係者の健康と安全とのバランスを慎重に考慮する必要がある。あなたが話した相手を特定してはならない場合もあるだろう――例えば、報復の危険性がある場合、または強姦の被害者などでは再度犠牲になることもある(性暴力の報道に関する詳しい提案は後述)。
 
  ・人々があなたに話したことには、注意を払い、敬意を示す。活字にするときには、インタビューした人から聞いたとおりの言葉を正確に用いるようにする――文法的に必要であれば少々整える。
 
  ・可能な場合には、躊躇せずに電話をして、自分の理解が正しいかどうかを確認する。誤ったことを活字にしたり放送したりするよりも、このようにちょっと手間を取らせてもらった方がはるかによい。
 
  ・特に次のことを考える。すなわち、それがあなたとあなた自身の体験について書かれているものであった場合、記事を読んだり聴いたり見たりしたとき、公正な表現となっていると思えるかどうか。ジャーナリストとしてのあなたの直感がわずかでも答えはノーであると言うならば、記事を書き直す必要がある。


強姦や性暴力を報道する

強姦は、人間が耐えうる体験の中で最もトラウマを与えるものである。多くの文化では、それに加えて恥のスティグマまたは社会的排斥がある。インタビューの相手と接触する場合、記者は特別な注意を払うべきである。極端な場合では、無神経な取材によって自殺、または親族や加害者による殺人に発展することもある。

性暴力は強姦だけを意味するのではなく、望まれない性行動全般――家族、交友関係、または夫婦の間でも、被害者と面識のない人による暴行でも――を含むことがある。それはどこでも起こる可能性がある。人々の家の私生活から騒々しい行楽地、人気のない通りから騒がしいナイトクラブ、刑務所の独房から戦場まで。

性暴力の報道では、ジャーナリストが「非常警報」の状態であることが求められ、この小冊子で概説されている全ての感受性のツールを駆使しなければならない。以下にいくつかの考察を追加する。

  ・無力化:あなたがその体験を取材しようとしている人は、非常に特殊な方法で暴行された人である。被害者は汚く、屈辱的で、無力であると感じることもある――そして、また、加害者からの報復を恐れていることもある。
 
  ・戦争:歴史の至るところで、性暴力は武力紛争の残忍な付随物であった。また、それは現在、徐々に露骨な兵器であると理解されてきている。生存者がそのような体験について話すのを聞くときには、心構えをしておく。通常どおりジャーナリストとして持つべき慎重さを持ちつつ、注意深く、敬意を持って彼らが言うことを聞く。
 
  ・インタビューする:被害者に単独でインタビューするようにする。ジャーナリスト、それに同行する通訳、カメラマン、プロデューサー、仲介役の一行と対面することで圧倒される場合がある。可能な限り少人数のクルーを用い、可能であれば、あらゆる機材を自身で操作する。被害者と親しくない他者には同席を遠慮してもらう。これには、兵士、年長者、地域のリーダー、救援者、村人などが含まれる場合もある。被害者には、親族に同席してもらいたいか尋ねるようにする。側に子どもをいさせないようにする――詳しい話を聞かせる必要はない。
 
  ・インタビュアーの性別:強姦された女性は女性インタビュアーの方が居心地が良いと感じることが多いが、もちろん男性でも居心地の良い関係を築くことができる人もいる。相手がどう思うのか聞き、彼女が男性記者では不安であるならば、女性の同僚にインタビューを行うように頼む。
 
  ・恥:恥と屈辱の気持ちは、あらゆる被害者の話の中核にある。そこには危機以上のものがある場合もあることを知っておく。イスラム世界の大部分やアフリカのいくつかの国では、夫、親族、隣人が強姦された女性と縁を切る、あるいは殺害することさえある。対象者の身元を伏せて、暴力的な社会的反動を避ける必要があることもある。
 
  ・強制:決して性暴力の被害者に話をすることを強制しない――報酬を申し出るなど。出版または撮影によって被害者の人生が改善する、またはポリシーが変わると約束しない。
 
  ・匿名性:決して本人の明確な同意やインフォームド・コンセントなしで生存者の名前を公表しない。現在、強姦の被害者名を公表することは、多くの国で違法とされている。ファーストネームのみ、または偽名の使用では、身元を隠すのに不十分な場合もある。インターネットを介せば、あなたが書いた記事は、被害者の故郷をはじめどこからでも読むことができる。職業、年齢、または住んでいる町などの特徴を隠すことを考える――そして、誤って記事に識別可能な情報を残さないように注意する。
 
  ・詳細を隠す:インタビューの相手は、強い光を当てて、または影で、背後から撮影する。顔またはサイドからのシルエット、またはデジタル処理やモザイク技術に注意する。現在、コンピューターでかなり容易に画像を向上させることができる。
 
  ・非難:強姦被害者に共通しているのは、起こったことについて非難されるものと感じていることである。それが真実である可能性があるとほのめかすようなニュース記事は、対象者を深く傷つけることがある。事件または告訴の描写をするときには、注意力をよく働かせるようにする。
 
  ・詳細:場合によっては、鋭い感覚で語られた生々しい詳細は、プラスの効果を持つことがあり、訴訟や政策の変更につながることもある。しかし、そのような記述には非常に注意する。それによってニュースの質が高まるのか、あるいはさらに被害者を辱めることになるのか。
 
  ・その土地の規範:いくつかの文化では、触れたり目を合わせることで被害者を怒らせてしまうことがある。文化的に適切な婉曲語法をよく知っておくようにする。対象者は、「強姦」という単語を聞いたり用いたりして欲しくない場合もある。男性記者は、ドアを閉めた部屋で非公式に被害者女性にインタビューすることには慎重であるべきである。これによって、社会的なスティグマが助長されることがある。
 
  ・支援:あなたの記事が読者や聴衆にとって、強姦または性的暴行の記憶を呼び起こすきっかけとなることがある。どこで支援を受けることができるのかについて記事に含めることを考える。


地域での外傷的な出来事を報道する

起こったことの事実、および地域や政界での反応を報道するだけでなく、可能であれば、関係した人が実際にはどのようであったか、そしてどのような人生を歩んできたのかといったストーリーを語ることができないか模索する。

これには個人、その家族、彼らを特別にしたもの、彼らが生きてきた人生の波及効果に関するショートストーリーなどが含まれる。多くの場合、被害者の親族は、記者が取っているのがこのようなアプローチであると分かると、喜んで話をしてくれる。

1995年、米国のオクラホマ連邦ビル爆破事件後、『オクラホマン紙』はこのような記事を「いのちのプロフィール」と呼んだ。9月11日の世界貿易センターの同時多発テロ事件の後には、ニューヨークタイムズ紙はその被害者についてのショートストーリーを「悲嘆の肖像」と呼んだ。ショートストーリーは毎日同じフォーマットで、被害者が全員特集されるまで続けることもできる。それらはより大きな記事につながることもある。

人々がどのように互いに助け合っているのか調べ、回復のすべての過程の中で彼らを取材する。あなたの取材を利用して、聴いたり読んだり見たりしている人がさらに情報と支援を見つけられるような情報源にリンクする。感傷的にならなければ、ジャーナリストが、地域のためのニュースだけではなく、希望をも提供することは、何も悪いことではない。

地域の代表にインタビューするとき、個人が代弁者として浮き上がってしまう場合に用心する。はっきりものが言える生存者、目撃者、親族または同僚は、影響を受けた他の人以上に持ち上げられて、居心地の悪さを感じることがある。また、一個人、一家族だけが注目されることによって、地域の他の人たちの恨みを買うこともある。小さな地域社会では、これが人間関係に長期的な損害をもたらすことがある。

これらの質問をしてみる:大衆は何を知る必要があるのか、そして、どの程度の報道が行き過ぎなのか。大衆の関心は薄れているのに、記者が取材に取りつかれるようになるのはどの時点か。地域社会は大量殺人または災害以上に重要である。報道は、それを反映したものでなくてはならない。

──────────────────────────────────────
  トラウマに関する最悪の決まり文句
 
  トラウマを取材しているとき、言い回しや単語を特に慎重に考える。あなたの言語は大衆の理解の一助となるか。感傷的でなく丁重な言い回しになっているか。例えば、以下のように言わない。
 
  ・「人々は衝撃を受け、死を悲しんでいます」……これは表面的で明白なことである。代わりに、起こったことと人々の反応だけを説明する。
 
  ・「村人は今も惨事の事実を受け入れようと懸命です」……当然である。今一度、人々がしていること、言っていることに取材の焦点を合わせる。
 
  ・「今もまだ、人々は悲しみに暮れていて」または「両親/兄弟は、もう彼らの息子/兄弟がいないのを寂しがっています」……これは、悲嘆の期間が定められていて、所定の瞬間からしか始まらず、すぐに終わらせなくてはならず、その期間が延長されるのは異常または不自然であるという意味にも取れる。
 
  ・「訓練されたカウンセラーが待機しています」……カウンセラーが未熟であれば、それこそニュースである。そして、いずれにしても、惨事のすぐ後に生存者と被害者を援助するために受け入れられたカウンセラーは、おそらくその時点では実はカウンセリングをしておらず、より実際的で単純に話を聞いたり支援をしたりしている。
 
  ・「~さんはカウンセリングを受けています」……専門家と共にどのような心の援助が提供されているか確認する――多くの場合、それは正式なカウンセリングや心理治療ではない。カウンセリングはトラウマ体験から自然に回復することができない人にのみ推奨される――これは通常、数週間経過しないと分からない。
 
  ・「この地域/学校/家族は決してこれを乗り越えることはできないでしょう」……ほとんどの人や地域が回復し、驚くほど早く回復することもある。もっと重要なのは、人や地域が体験によって変わっていくということであり――それこそがニュースなのである。
 
  ・「区切り(closure)」という言葉には用心する。悲嘆している人がこの言葉を用いることがある。必ず、それをどのような意味で使っているのか、はっきり聞くようにする。区切りという言葉を本人が使っていないのであれば、それを記事の中で使わない。同様に悲嘆している段階を表す言葉や考えは、年齢、文化などによって異なる。
──────────────────────────────────────

外傷的な出来事または体験の直後には、関わった人たちの多くが侵入的な想起、麻痺、回避、過覚醒などのPTSDに似た症状を体験する。それは彼らがあなたと同じように人間であるからである。


トラウマを取材する――ジャーナリスト

では、それらがトラウマのジャーナリズムのための含意であるならば、この知識がジャーナリスト、またはドキュメンタリー番組制作者にとってどのような意味を持つのか。おそらくあなたが――自分で考えている、または認めたいと思っている以上である。

以下の話では、詳細と名前は変えられている……

  ・2001年、ニューヨークで9月11日の同時多発テロ事件の映像が入り始めたとき、ジョンはテレビ局の映像デスクであった。24時間、彼は次々と重傷、死、落下する体の映像を取り込んだ。数週間後、ジョンは理解できない苦痛と共に、心がバラバラに壊れた。何が起きたのかというと、10年前交戦地帯にいたころの処理されていない古い記憶が裂けて開き、外傷後の苦痛と共に彼を打ちのめしたのである。
 
  ・サラは地方裁判所の記者であり、3人の男性が大金槌で別の青年を殴り死亡させた裁判を取材していた。詳細が非常に凄まじく、全国ネットのニュースでは裁判を全く報道しないことになった。サラは一人取り残されたまま、情報を聞かなければならなかった。彼女は悪夢を見るようになり、眠ることができなくなった。友人が彼女の目撃したこととの関連性を説明して、ようやく気分が良くなってきた。
 
  ・ジャーナリズムにおけるYevgeniaの仕事は、ロシア語のラジオ放送をモニターすることであった。彼女はチェチェンで育ったが、チェチェン紛争が始まったときにはすでにイギリスに住んでいた。何年もの間、彼女はグロズヌイからの残虐行為と死のニュースを聞いて記事にした。何が起こっていたのか理解できないまま、時間の経過とともにPTSDを発症していった。彼女とその管理者が起こっていたことに気づいたときには、回復のために仕事を1年ほど休まなければならなくなっていた。
 
  ・アンドリューがジャーナリズムスクールを出てそのまま地元地方紙の一員となってすぐ、ホームタウンのすぐ外で特に不快な自動車事故を取材するよう要請された。土曜日の夜、2人の青年が速いスピードで道路からはみ出し、木に激突した。アンドリューはそれまで死体を一度も見たことがなく、人間と分からないほどめちゃくちゃになり、車の残骸に巻き込まれた2人の男性の状態にひどくショックを受けた。その後長年、衝突の映像が脳裏に焼きついたまま、汗びっしょりで夜目が覚め――対処ができない人だとレッテルを貼られるのが怖くて、他の人に話すことを恐れた。
 
  ・デヴィッドの場合には、アフリカの飢饉についての取材旅行で起こった。彼は以前その地方を旅行したことがあり、対処はうまくできると思っていた。ある母親の苦悩と、その死んでいく子どもを救うことができなかった無力さのため、帰国してしばらくデヴィッドは気がおかしくなりそうになった。


ジャーナリストの心の傷

時として「Ⅰ型」トラウマと呼ばれるものは、突然で1回きりの、認識可能で外的な出来事、例えば事故、殺人、また武力による攻撃を目撃すること、または死んでいてもおかしくなかったような事態から生還すること――「ニアミス」――などのときに見られる。

「II型」トラウマは、一種の「最後の一撃」――前述の事態または体験の後の限界点――のときに見られる。虚脱または衰弱の「きっかけ」は、仕事で誰かに怒鳴られた、家のペットが車にひかれたといったありふれたことであることもある。

誰もがトラウマを異なる形で体験する――そして、それはジャーナリストにも言えることである。それは性格、体験、そしてその人が個人的にどのように目撃、取材したことを理解したかによる。

多くが直後の余波で困難な時を迎えるだろう――特に数日、数週間後にアドレナリンの高い状態でニュースから離れるときは。

短期的には、無表情だったり、混乱したり、うつ状態でさえあると感じることがある。しかし、より長期的には、外傷的な体験を通ってきたほとんどの人がうまく対処できているだろう。それが私たちが人間としてそうするようにプログラムされているからである。トラウマから回復するたくましい能力がなければ、私たちはこのようにこの惑星で生存し、繁栄しなかっただろう。

極度の人間の苦悩を扱うジャーナリストは、しばしば自分の仕事を――個人的にも職業的にも――非常に価値があると感じる。仕事を仕上げるには――病気や犯罪を扱う医師や警察のように――ある程度自分たちと話をしてくれる生存者や目撃者との間に職業上の壁を作る必要がある。

写真家とカメラマンは、特に蓄積されたトラウマに傷つきやすいと考えられる。

それは、ものを書くジャーナリストと違い、彼らが毎日机の前で自分が目撃したことを起承転結のある物語に作り上げる作業を行わないからである。そうしていれば、起こった出来事を脳が理解するのに役立つはずである。しかし、彼らの仕事では、ファインダーを通して出来事を見つめるとき、心を切り離すことが求められる。身体はそこにあっても、心は撮影機材に組み込むのである。

チームと同僚間のサポートが心のバランスと健康の維持の鍵となる。良いチームと良いソーシャルサポートは、最悪の状況の最中やその後で、人々を感情的にタフにする助けになる。機能不全のチームでは逆効果となることがある――物語に伴う苦痛を増大させ、メンバーを怒りの状態、うつ状態、または混乱状態のまま放置する。

うまく機能していないチームは、サポート、あるいは変化が必要となる。そして、あまりうまく対処できていない人がいる、新たなトラウマ体験によって昔のつらいことが表にできてきた、または誰かが日々の生活をこなすのが困難だということに気がついた、そういった場合には、恐れずにジャーナリストは専門のカウンセラーを信頼して任せたり、また同僚に同じようにするよう検討してもらうように提案したりすることが重要である。

また、PTSD、うつ病、薬物乱用の最も悪い結果が自殺であることを認識しておく。あまり知られてはいないが、外傷的な体験と闘っているジャーナリストでは、自らの命を絶つリスクが高くなる。自殺を考える人がいる場合、常に真剣に受け止めなければならない。

これが少しいかめしく聞こえるならば、次の3つのポイントを覚えておく。

  ・ほとんどの人がトラウマにうまく対処できる――特に良いソーシャルサポート、家族やチームのサポートがある場合。
 
  ・うまく回復していないと感じた人は、サポート、必要であれば専門家によるサポートを避けずに受けるべきである。それにより大きな違いが出る。
  ・そして、決定的なのは、感情的な体験に心を開くことで、より良い記者になれると認識することである。結局、あなたが取材している人の物語に共感できなければ、彼らの体験を本当に反映することはできない。

最も熟練したプロのジャーナリストさえ、惨事に曝露されて衝撃を受けたり、苦しめられたりすることもある。そのプロの壁は、時間に従って、他者と共に幸福に、健康的に生きることへの障害になることがある。

私たちはまず人間であり、ジャーナリストであることは二の次である。それは、私たちも傷つくことがあるということを意味する――新聞記者的な「客観性」への私たちの信念にかかわらず。


外傷的になり得る出来事を扱う

■回復力を維持する――セルフケア

自身を精神的に安定した状態に保つ最も重要な方法は、体の健康のために分別をもってするべきことでもある。

  ・英国陸軍には、セルフケアの鍵となる部分を示す次のような句がある。「Three Hots and a Cot(3度の食事とベッド)」言い換えれば、1日に3度健康的によく食べるようにし――特に――十分な睡眠を取りなさい。非常に短い睡眠時間でも生きていけるというのは、自慢にならない。それはあなたの体と心の健康、そして記者としての判断力に影響する。
 
  ・健康に良い習慣に基づく、標準的な一日の過ごし方を確立する。軽い運動を少しずつ続けるだけでも抗うつ効果があることを示す良い研究がある。現在、専門家は30分のウォーキングが30分のランニングと同じくらい良いと言っているので、激しい運動でなくてもよい。また、悪い食習慣と脱水状態でも、気分にすぐに影響が出る。水をたくさん飲むようにする。
 
  ・休憩を取り――他の人にもそうするように勧める。数分か数時間、または1日か2日といった長期の計画でニュースから離れれば、体と脳が体験していることをより健康的に処理し、吸収する助けとなる。
 
  ・自分の限界を知る――そして、特にキャリアの初期段階で、評価を上げたいと切望していて、まだほとんどのことを引き受けてしまおうとしている段階では注意する。困難であったり危険な仕事を引き受けるように頼まれても、しない方がよさそうなことには、そのように言うことを恐れない。
 
  ・ジャーナリストであることは、時として危険を冒したり、極端に不快な状況に自らを置いたりするということを意味することもある。仕上げなければならない仕事があり、トラウマを専門的に扱う人が気丈になって感情を抑えなければならない場所と時がある。しかし、いつまでも弱みを見せないのは良くない。
 
  ・気持ちを認めて、適切なタイミングで感情について話す選択をするのは、弱さのサインではない。一方、うまく行えば、適切で十分な知識に基づく、出来事または仕事の後の同僚――そして、信頼が十分であれば、面倒を見てくれている管理職や編集者――との話し合いは、回復する力があることを示す場となる。
 
  ・他の人間と話をし、特に、接することで、脳はトラウマと惨事を理解できるようになり、それと折り合って、前に進む時間ができる。それは、コンピューター用語でいうならば、メモリーをアクティブな処理から移動し、ハードドライブ上のアーカイブに安全に保管するようなものである。そうなれば、将来、その記憶を思い起こしても、それがきっかけになって外傷的な瞬間の精神的苦痛を体験することはない。
 
  ・誰か、感受性のある聞き手を探す。それは、編集者、同僚、またはパートナーであることもある。しかし、その人はあなたを非難しないと信じられる人でなければならない。例えば、それは同様の体験に直面した人であるかもしれない。同僚に対しても同じように援助する――そして、彼らに話をしてもらえるようにする。
 
  ・通常のストレスとどのようにつき合うか学ぶ。趣味を見つける、運動をする、自分を見つめ直すために休みを取る、家族や親友と過ごす時間を取るようにする――または4つ全てを行う。笑えるようなことを見つける。
 
  ・深呼吸してみる。5まで数えながらゆっくり長く深く息を吸い、次に5まで数えながらゆっくり息を吐き出す。循環運動のようなイメージで、余分な緊張を吐き出し、リラックスして息を吸い込む。
 
  ・また、想像力を利用して、トラウマ療法でしばしば内的な「安全な場所」というところ――暖かく、心の栄養になり、リラックスできる場所、例えば、ビーチ、美しい山腹、または自然のあるところ――に行くのもよい。
 
  ・アルコールには注意する。適量であれば良いが、嫌なことを忘れるためや、寝つく手段として用いていると気づいた場合には、慎重に自分の状況について考え、助けを求めなければならない場合もある。どの程度のアルコールが摂り過ぎとなるのかについての情報は、付録を見るとよい。
 
  ・また、時として、体験したことが対処する能力を圧倒することもあるということを理解し――遅延型反応に注意する。長年うまく管理できていて、難しいニュースを報道してきたと感じているジャーナリストと番組制作者が、比較的ささいなことで突然気がおかしくなることに気がつくことがある。そのようなことが起こったときは、隠さず同僚に話し、場合によっては専門的な援助を求める。
 
  ・外傷的な出来事を取材した後、仕事や自身について自分が否定的になっていると気づいたときには、心の中の「私は役に立たない」または「なんて弱虫なんだろう」などのつぶやきに挑み、より肯定的で適切な評価にすり替える必要がある。これをするのが困難な場合は、誰かと話して事態をを変える手助けをしてもらう。
 
 
──────────────────────────────────────
  トラウマの心理的な影響を考えるとき、軍人が極度の危険とストレスにある中でどのように状態を維持するのか探究した研究者の調査結果を覚えておくとよい。回復力を示した人には、一貫して以下の9つの特性の偏差が見られた。
 
  ・回復力のある役割モデル。
 
  ・楽観主義――回復力に点火する鍵となる燃料。非現実的、バラ色の楽観主義ではなく、「否定性を否定する」能力――肯定的な考えを挿入して、人が困難な状況で体験することがある否定的なつぶやきに襲われないようにする。
 
  ・倫理的な指針――しばしば倫理を基盤とする目的、任務、または目標を明確にし、心の最前列に持っておく。
 
  ・信仰または精神性の認識
 
  ・身体的な健康――運動には、抗うつ剤と神経化学的に同じ影響があり、悪い副作用が一切ない。
 
  ・肯定的な認知的評価:回復力のある人は、体験を最も再構成することができるように思われる――失敗から学んで、否定的経験さえ自身をより強い人にしたり、世界を違うように理解したりすることができる機会であると見なす。
 
  ・ソーシャルサポート
 
  ・訓練
 
  ・責務
 
  したがって、外傷的な出来事を挑戦、惨事と向き合って何かを良いことにする機会であると見なせば、決意を固め、仕事の価値と意味に焦点を合わせておくことができる。
──────────────────────────────────────


■トラウマを管理する――その前、中、後

本質的には、良いトラウマの管理とは大きな権威による管理である。変化を成功させるためには、トップがそれを駆り立てていかなければならない。そして、トラウマ認識プログラムを、病理学ではなく、回復力を強化するものと見なさなければならない。

例えば、現在、アメリカ軍は「精神的健康(mental health)」の代わりに「行動的健康(behavioral health)」という言葉を用い、この作業を戦闘力倍加要因と呼んでいる。トラウマへの通常の反応に取り組まないことは、精神力と戦闘力の弱体化の原因となるという考え方である。

アメリカ軍特殊部隊やその他のいくつかの部隊の指揮官は、現在、自分の隊の行動的健康を勤務評定の一部として用いている。アメリカ軍特殊部隊は、臨床診断によって除隊させられることは決してないと言われている。それが行われるのは、正常に機能できない場合のみである。

このメッセージと指揮官に対する指示との組み合わせによって、PTSDを発症する危険性のある兵士の数と、実際に援助を求める兵士の数が10%から80%へと上昇した。

では、これほど階層的でないメディア業界の管理職は、どうすればこの文化の変化に力を貸すことができるのだろうか。

ここに、軍で有効に使用されたいくつかの簡単な原理がある。

  ・リーダーは、回復力のある役割モデルと楽観主義を提供する必要がある。
 
  ・活動後のレポート。文化は、失敗から日々学ぶことで創られなければならない。
 
  ・常にこの任務を最重要課題に位置づける。最高幹部と管理職が絶えずこのことを明確に話すことが鍵となる。
 
  ・個の結合。アメリカ軍特殊部隊ではバディー方式を作り、部隊長は兵士を決して一人で苦しませないことの重要性を教えられる。
 
  ・積極的な対処と課題解決を奨励する。
 
  ・遅れることなく、早期に介入する。
 
  ・回復期間を組み込む。

チームや個人に外傷性が潜在するニュースを担当させる前に、あらかじめ事情を知らせて教育すること、そのような任務やプロジェクトの最中も彼らを支援すること、そして、その後には、実際的および社会的なサポートを提供し、必要ならば専門のトラウマカウンセリングによって支援することが不可欠である。


[トラウマ経験「前」の段階]

  ・トラウマ認識のブリーフィングは、標準的な訓練や管理の中心となる要素であるべきである。職に就いたり新しいチームに加わるジャーナリストは、できるだけ早くトラウマが真剣に受け止められていること、そして、それが組織の文化の中でどのように扱われているのかを学ぶべきである。それは、リーフレット、小冊子、インターネット上の情報で行うことができる。最も重要なことは、リーダーと管理職が自然に、かつオープンにトラウマについて話し、それを管理する自信があることを伝えることである。
 
  ・トラウマ認識の文化があるところでは、管理職や編集者が仕事に取り組んでいる同僚と席を共にし、訓練や全般的なブリーフィングでしばしば議論したことについてをもう一度語ることが容易かつ自然に行える。
 
  ・仕事を割り振る前にも、感謝し、認め、評価する。評価されていると感じることで、人は心のバランスをうまく保てるようになる。他に誰も行く人がいないから送られただけなのだと思うのではなく、その仕事に耐えられると管理職から評価されていると感じることが重要である。
 
  ・同時に、身の安全に対する困難だけでなく心の問題についても、起こりそうなことをはっきり挙げてみる。トラウマのもつ影響力について、話すことを躊躇したり恐れたりしない。文化を変容させるための最も貴重な作業は、このような日常の会話の中でこそ行われる。
 
  ・他の人間とのつながりは、脳内物質とホルモンのバランスを取り、強化する助けとなり、精神的苦痛を処理して、乗り切れるようにしてくれる。したがって、信頼できる取り決めをして、定期的に連絡を取り続け、自分で良いと思ったことに執着する。
 
  ・セルフケアを奨励する。仕事に向かう人に、睡眠、水分、食料、運動など身体的欲求に気を配ることで大きな違いが出ることを思い起こしてもらう。
 
  ・トラウマを扱うとき、苦悩することは決して異常でないこと、しかし必ず起こるというものでもないことを、もう一度確認する。重要なことは、それとどう向き合うかである。話をするのも良いことである。

[トラウマ経験「中」の段階]

  ・前に挙げた理由のため、今一度、定期的に連絡を取り続ける。
 
  ・チームのリーダーも本部のリーダーも、例えば自ら睡眠することによって模範を示すべきである。軍での経験から、隊長が寝ないと部下も寝ないということが分かっている。ジャーナリズム業界は、睡眠時間の短さを同僚と評価し合うような場ではない。
 
  ・どのような批評でも、そのタイミングと頻度に注意する。人が極度の精神的苦痛を伴うニュースを扱っているとき、自身の防衛力は低下し、感受性が強くなっている。
 
  ・自分のチームを確実に味方にする。殺人事件の裁判を報道しているか戦争を報道しているかにかかわらず、すでに精神的に限界まで伸びきってしまっているときに番組や部署(フィアンセも含む!)から軽率でタイミングの悪い、あるいは配慮の足りない言葉で要求を受けることで、憂うつになったり、腹を立てたりすることがある。それがトラウマとなって、長年痛む傷跡が残ることもある。
 
  ・管理職や編集者は、出張者がその期間中に家にいる人と常に電話によるコンタクトを維持することを認め、奨励し、また料金の支払いもするべきである。それは仕事に対する臨時の特典ではなく、心の健康への不可欠な投資である。
 
  ・ストレスが多い仕事から元の職場に復帰する前に、途中、適切な場所、良いホテルで1日か2日過ごすことが奨励され、通常の家庭環境に戻る前に「息抜き」ができれば、それは助けになることがある。もちろん、パートナーがこれに賛成であることを確認する。生死と向き合う仕事と、家庭と家族を運営するありふれた責任との間の移行が難しいために、多くの結婚生活が破綻している。


[トラウマ経験「後」の段階]

  ・社会的で実際的なサポートが最も良い心理作戦であることを覚えておく。そして、ささいなことが大きな差を生みだす。たとえば、感謝、お祝いのメッセージ(herograms)、電子メール、空港での出迎え、パーティー、公的な礼状など。
 
  ・人は情報によって安心する。したがって、惜しみなく共有されていることを確認する。特に大きなことや悪いことがチームの人に起こった場合は、状況にどのように取り組んでいるのか、人々がどのようにしているのかに関して、できるだけ多くの詳細を伝えて、全員が確実に最新の情報を持ち続けられるようにする。これを怠ると、有害な噂が増殖する。
 
  ・起こる可能性のあった外傷的な出来事にどのように対応するのか、プランを立てておく。誰が影響を受ける可能性があったか考える。そして、スターや著名人だけを考えない。仲介役、訳者、技術スタッフ、映像編集者、支局長、そして役割にかかわらず自分自身を思い出す。
 
  ・外傷的な体験をしてきた人たちには、それについて話す機会を確実に持つことができるようにする。彼らの話を聞く時間を設ける。彼らに元気かと尋ね、彼らが「元気です」と答えれば次の仕事に送り出す、というような短い会話だけで終わらせない。
 
  ・この種の会話が、専門家による精神医学的介入ではなく、人の気持ちを詮索することを意図していないことを認識することは、非常に重要である。彼らがどうしているかを評価する方法以上のものであり、同僚が同僚を、協力的で、非公式であっても知識に基づくやり方で行われる。いずれも一回限りではない。数週間後に再度確認するために追跡調査し、さらにサポートが必要であるかみることが不可欠である。

詳しくは、ダートセンターのウェブサイト dartcentre.org のガイドを見れば、米国、英国、オーストラリアのセラピストを見つけることができる。

──────────────────────────────────────
  これらの非公式な会話を構造化するために、より想像力をはたらかせる方法で、「FINE」の言葉を使用すると役立つ。
 
  F は Facts(事実)。起こったことを尋ねる。いつ、どこで、誰が、どのように、など。直球で行って、起こったことに対する気持ちを詮索しないようにする。事実に終始し、冷静を保つようにするが、尋問しないようにする。                                                
 
  I は Impact(衝撃)。ここから人の個人的な体験に焦点を合わせ始める。そのとき、あなたはそれをどのように体験したか。そのとき、それはどのようにあなたに影響したか。そのとき、あなたは何を考え、どのように感じていたか。
 
  N は Now(現在)。あなたは現在どのようにしているか。それ以来、あなたはどのようであったか。後述の簡単なチェックリストについて議論し、あなたがた双方がその人がしていることをどのように考えるか一緒に評価する。
 
  E は Education(教育)。人によって異なった反応をするが、苦悩の症状は全く異常ではないということを再度保証する。人はジャーナリストや番組制作者であり、同時に人間的であってかまわない。そしてほとんどの人は、ほとんどの場合おそらく数週間ほどで良くなったと感じるが、回復にもう少し長い時間かかることも異常ではない。
 
  そのとき、確実に1ヶ月後くらいまでの間に追跡調査の会話時間をとるように段取りをつけ、物事がどの程度落ち着いたかみるようにする。落ち着いていないようであったり、事態が悪化したりするようであれば、そのときは良いトラウマカウンセリングとサポートが容易に利用できて、スティグマなしでみてもらえることが重要である。
──────────────────────────────────────


■注意すべきこと

トラウマを引き起こす重要なニュース、仕事、またはプロジェクトの直後の数時間と数日間は、感情とアドレナリンが非常によく動く。おかしいと感じる―苦悩している、高揚している、混乱している、麻痺している、何か「興奮」した感じがする、ただ元気がない―のは全く異常ではない。

近年行われた大規模な調査では、ほとんどの人が、大抵の場合、自然にトラウマ体験から回復すること、良いソーシャルサポートが回復を助ける重要な要因であることが強調されている。

これはジャーナリストにもあてはまる。しかし、誰かが困難な状況にあることを、どのように知ることができるのだろうか。特に、本人はすべてうまくいっていると言い張るのだが、あなたが違うと感じる場合である。

  ・外傷後の苦悩は、何よりも行動の変化、そして性格さえも変化する中にその姿を現す。人が、もはやその人ではないように見えたり、本人が自分だと感じられないようになることもある。
 
  ・彼らとそのチームメートは、何かバランスが崩れているように感じるが、それを特定の出来事とすぐに結びつけることが容易であるとは限らない。とくに、こうした変化が数週間または何ヶ月も後になって明確に現れるときにはそうである。
 
  ・外傷後ストレスを体験した人は、自分の殻に閉じこもってしまうこともある。あるいは、起こったことについて取りつかれたように絶え間なく話し始めることもある。
 
  ・いつになく怒りっぽくなったり短気になったりすることもある。
 
  ・罪悪感を感じたり、混乱しているように感じると話すこともある。また、トラウマによって事故に遭遇しやすくなる場合がある。仕事、趣味、人間関係に集中したり関心を持てなくなることもある。
 
  ・病気がちになることが多くなる。精神的苦痛が抑圧されると、背中や胃の痛みなどの身体的症状となって現れることがある。
 
  ・仕事に遅刻したり、締め切りに間に合わないなどのケースが多くなる。あるいは、夕方オフィスを出ることができず、一人になることが怖くなることもある。
 
  ・通常より多くのアルコールを飲むというサインを示すこともある。
 
外的な指標だけに頼ってはならない。数日後に、慎重かつ冷静なディスカッションのための時間を見つけるとよい。そして、次の数週間も互いに注意を払い合う。


■急性ストレスに気づくには

英国海兵隊には、チームのメンバーがトラウマ体験後どのように対処しているかをチェックする簡単な方法がある。前の週のトラウマに関係する苦痛の症状を10項目で評価するチェックリストを使用する。

     1. 意志に反して心に入り込んだ外傷的な出来事について、動揺するような考えまたは記憶を体験した。
     2. 起こったことについて動揺するような夢を見る。
     3. 悪いことが再び起こったかのように行動したり感じたりすることがある。
     4. リマインダー(思い出させるもの)によって動揺を感じる。
     5. 起こったことについて思い出すと、身体的な反応(心拍の増加、胃のむかつき、発汗、目眩など)が生じる。
     6. 寝つきが悪かったり、眠りが浅い。
     7. いつになくイライラしたり怒りっぽかったりする。
     8. 集中することが困難であると感じる。
     9. 自分や他者にふりかかる可能性のある危険が過剰に気になる。
    10. 予期されないものに対して神経質になったり、すぐに驚いたりする。

人は大きなニュース直後の数日間は、これらの項目のうちいくつかにチェックすることが多い。しかし、その後数日間、あるいは数週間で苦悩が軽減するのも普通のことである。

しかし、1ヶ月ほど経ってもまだ高得点である場合(その時点でチェックすることがいかに重要であるか覚えておくこと)には、何らかの苦悩が心のシステムの中で立ち往生している可能性がある。その場合には、専門的なアドバイスを受けたり、専門家によるトラウマカウンセリングを受けることが役立つ。


■危険因子

トラウマ体験に伴う苦悩の反応に関係する明確な危険因子もある。それには以下が含まれると考えられる。

  ・自分の生活に不安を感じる。
  ・「キレた」と感じ、パニックのときに感情がコントロールできなくなったり、体験に打ちのめされたりする。
  ・自分の行動や反応について持続的に羞恥心を体験したり、他者を不当に非難している。
  ・その出来事以来、かなり多くのストレス要因にさらされている。
  ・前に重大なトラウマを体験し、その苦悩に関する記憶が蘇った。
  ・友人、同僚、家族など、優れたソーシャルサポート源を持っていないか、それを利用していない。
  ・苦悩の症状を押さえるために、アルコールや処方されていない薬を使用している。

仕事以外の個人的な問題が、反応を悪化させることがある。例えば、離婚話が進んでいたり、小さい子どもを持っている人は、他の人より出来事によって苦しめられるかもしれない。


痛みを感じたらどうするか

本節に含まれるトラウマ反応についての核となるアイディアは、2005年、英国国立臨床研究所(NICE)が発行したガイドラインに従っている。

これらの研究結果に基づく勧告は、英国国民健康保険の治療と支出計画の指針とするために策定されたものであり、その中核には、体験したことに対する理解とソーシャルサポートがあれば、ほとんどの人が外傷性ストレスにさらされても自然に回復するとの期待がある。

  ・一度かぎりの心理的なデブリーフィングを、トラウマにさらされている人に対して規定どおり用いるべきではない。薬剤や薬物療法はPTSDに対する一次治療としては推奨されないが、他の条件のもとでの治療法としてはそれなりの役割をもっている。
 
  ・何もしないというのは論外である。しかし、効果がなかったり、立証されていなかったり、逆効果を招きかねない反応に急いで飛びつくべきではない、という点については明確にアドバイスできる。
 
  ・推奨されるのは、「静観」と称されることである。これは、トラウマを経験した人が、その後数週間、数ヶ月間どのような状態でいるかチェックし、体験したことの影響を理解できるように助け、外傷的な苦痛の症状に注意を払う、というものである。

以上は、ここで提唱されるアプローチの目的でもある。

  ・部外者やトラウマ専門家にトラウマ反応の責任を任せるのではなく、管理職、編集者、同僚が、トラウマの一次的影響を管理する組織上の所有権を自ら取るべきである。
 
  ・訓練と手順を適切に設定し、取材と向き合い、トラウマと向き合っているのだと理解する助けとなるようにしなければならない。苦悩を体験すること、あるいはしないことを認められるようにする。そして、回復が難しいと感じている人を特定し、適切なサポート、そして必要であれば治療を求めることを奨励できるようにする。
 
  ・ジャーナリスト、管理職、または同僚で、トラウマの衝撃と向き合うためにセラピストを探したいという人には、誰を選ぶにしても特にトラウマを扱う経験がある人、可能であれば、ジャーナリストやメディアと仕事をした経験のある人を確保することが推奨される。


終わりに

トラウマを取材することは、ジャーナリストに開かれている最も価値ある体験の一つである。生と死という実存的な問題を扱いながら、あなたは崖の縁で生きている。

取材対象者、その内容を報道する相手、そしてあなた自身にとって、仕事が首尾良く成し遂げられることは重要である。

極度の人間の苦悩と心的トラウマの報道に関して、21世紀のジャーナリズムの文化が変化する時である。

その変化は起こっている。あなたはその一部なのである。幸運を祈る。


付 録

武力紛争と戦争を報道する

[本章のアイディアは、2005年のダートセンター戦争記者静養会(retreat)の記録から引き出されたものである。主に自国以外の国での紛争を取材した体験が引用されているが、これらのアイディアが居住地の近くの戦争を扱っている人にも、さらには人間の極度の苦悩を報道するあらゆるジャーナリストにも役立つことを期待している。別居をどのように管理するのがベストかに関するアイディアの詳細は、後述の「家族とパートナー」を参照すること。]

    「……目にした光景に圧倒されて、最前線の戦闘が最も激しい場所に留まることができなかった。私はそこから逃げたいと切望した……引き受けた仕事の重さが鉛のように心にのしかかってきたのは、今になってからである。」――ロンドンタイムズ紙クリミア従軍記者William Howard Russell
   
    「私たちのほとんどが(イラクと災害の報道で)暴力によって家族を失った無数の人々にインタビューして、うちひしがれたように感じた。私たちは皆、私たちが何を書いても、人々の喪失に何の安らぎも与えることができないことに気づきすぎている。罪悪感と無力であるという感覚に加えて、人の一回限りの人生への容赦ない脅威がある。私の知っているジャーナリストの中には、うつ状態になって長期間、自室に引きこもった人もいる。眠ることができずに夜中起きていて、その後、午後まで眠る人もいた。大量に飲酒している人もいた。かんしゃくに苦しみ、現地スタッフを罵倒するようになった人もいた。少なくとも2人は身体的に病んでいた。他の人たちは狂ったように一生懸命働いていた。」――ニューヨークタイムズ紙特派員Alissa Rubin

戦争の取材は危険な仕事である。危険は現実のもので、撃たれたり、傷つけられたり、殺されたり、誘拐されたり、同僚を失うようになってくる。また、戦争や紛争の取材によって、心理的に痛めつけられることもある。では、ジャーナリストとその上司は、後で最悪の混乱が生じるのを避けるために、前もってどのような事を知っておくべきなのだろうか。

私たちは、研究からジャーナリストは回復力が強いことを知っている。その一方で、経験的にも増加をたどっている一連の臨床論文からも、戦争記者は国内にいる同僚よりも飲酒しやすく、薬物を乱用しやすく、外傷後ストレスに苦しみやすいことを知っている。

カナダを拠点としている精神科医Anthony Feinsteinによる戦争ジャーナリストの信頼できる調査によると、調査の対象となった人の4人に1人が、前線での平均15年のキャリアの間のある時点で、悪夢、フラッシュバック、苦痛を伴う侵入的思考など、重要な外傷後ストレス症状を体験したことが分かった。

これらの戦争ジャーナリストは全員、身体的にも精神的にも自分が危険に直面したことを鋭敏に認識していた。しかし、ほとんどの人が繰り返し前線に戻ることを望んだ。

Feinsteinがインタビューした非戦争ジャーナリストの場合は、外傷後症状と薬物乱用を報告することが少なかった。しかし、重要な発見は、いずれのグループも自分の精神的苦痛について専門家の援助を熱心に求めようとはしなかったことである。西欧のジャーナリズムの大部分に行き渡るマッチョ文化を確認する形となった。


■家を離れる

  ・交戦地帯での仕事を受け入れる前に、精神的な準備をすることは不可欠である。ジャーナリストが最初にすべきことは、なぜ行きたいのか自問することである。危険に引きつけられたからか、大きなニュースへの願望か、または単に仕事を断ることが困難であっただけなのか。
 
  ・ジャーナリストは、戦争を報道するリスクと苦労から個人的、職業的に何を獲得できるかを把握するために、また危険を冒してまで努力する価値があるかどうかを検討するために、時間をかけるべきである。経験豊富な特派員でも、交戦地帯に戻る際には動機について考えるべきである。これらについて自問することは、ジャーナリストが何が自分を駆り立てるのか理解することを助けるだけではなく、現場で自分がどこに焦点を合わせればよいかを教えてくれる。
 
  ・さらに、動機を理解して個人的な目標を設定することによって、達成感を持って任務を終えることができる。なんとなく行くのではなく、行くことを決断するのだということを忘れないようにする。
 
  ・行く前に、現場の同僚に電話したりEメールを送ったりして、どのような感じか聞いておく。自分が最も恐れていることをあげて、どのようにそれに取り組むべきか聞いてみる。どのような日課となるか、何を期待されているのか、何が危険なのかについて学んでおく。直面する可能性があることに備えるために、あらかじめニュース編集室に入った、編集前の、公開できない映像をいくつか見ることが役立つと考えるジャーナリストもいる。
 
  ・出発と到着のための正式な儀式があるとよい。記者を同僚一行が空港で見送ったり、出迎えたりするなど、簡単なものでも十分である。また、慎重に選ばれた友人や同僚と任務のことを話すと、不安を払拭する助けとなる。
 
  ・適応する。戦争に行く兵士は、直面する身体的な挑戦に容赦なく準備をさせられている。身体的な適性(fitness)に注意を向けるジャーナリストはあまりにも少なすぎる。攻撃を受けて、命のために逃げなければならないとき、適性があるかどうかは、文字通り殺されるか逃げられるかの差を意味する。適性は単なる任意のおまけではない。真剣にそれを受け止める。

行きたいという願望には、家族や愛する人と離れるという罪悪感が伴う。「暗黒の日々」が始まり、行くことがすべきことなのか心の中で苦しみ、それが何日も何週間も続く人もいる。しかし、一度行ってしまえば、ギヤは家にいる家族から戦地のチームへと入れ替わる。

  ・ジャーナリストは、自分が負傷したり、誘拐されたり、殺されたりしたとき、所属する報道機関が何をしてくれるのか、前もって知っておく必要がある。必要であれば、遺体を送還してもらえるのか。メンタルヘルスの問題に対して保証はあるか。率直にこれらの問題を持ち出すことによって、記者は殺される危険を冒さないことを決断し、その結果、仕事を断ることもある。管理職側は、記者がそのような決断をしても悪影響や汚名を着せられることがないことを明確にするべきである。
 
  ・希望と非常時の取り決めについて同意してもらい、すぐに実施してもらえる状態にしておく。金融関係の書類、家の書類、遺言書がどこに保管してあるか、親族や大切な人に知らせておく。個人的な勘定を払ってもらうための取り決めをしてあることを確認する。


■そこにいる間

  ・特派員もカメラマンも、現場に相棒がいた方がうまくいくと考えている。部隊同行取材は孤独な仕事になることがあると警告するジャーナリストもいる。カメラマンや他の同僚とペアを組んでいない人は、通常のグループに見られるちょっとしたサポートを欠く危険性がある。
 
  ・また、同行取材という立場に問題が生じた場合、ジャーナリストには退去の戦略が必要となる。早い段階から基本原則を軍と取り決めておくことが不可欠である。
 
  ・危険であるか進んでよいかについて自分の正しい判断力に確信があっても、「相棒」または同僚から真偽の確認を得る。他の同僚よりも大きな危険を冒しているのかどうか、危険が多すぎるかどうか、感触を掴むようにする。一般に、交戦地帯のセキュリティコンサルタントは保守的であり、彼らはまず命の安全を考えるアドバイスをする。しかし、彼らは取材の仕事を妨害し過ぎると感じているジャーナリストは、こうしたアドバイスに苛立ちを覚えることがある。
 
  ・新人ジャーナリストは、現場の経験豊富な特派員と話し、安全の重要性について、より優れた感覚を身につけるべきである。危険が大きすぎるという理由で、ニュースを得たいという気持ちは強いにもかかわらず戻ってこなければならないことがあることを認める。
 
  ・フリーのジャーナリストは、大きな組織が提供することができる保護を欠いているので、その地域で他のジャーナリストをつかまえるようにしたほうがよい。比較的大きな組織には、フリージャーナリストを喜んで「採用する」ところもあり、そうなれば制度的にも精神的にもサポートを提供してくれる。
 
  ・戦争を報道するときには、休息を十分にとることが特に重要である。アルコール、ニコチン、カフェイン、時として違法な薬物によるセルフメディケーションは、戦争ジャーナリスト文化の一部である。しかし、それは非常に危険である場合がある。薬物乱用のリスクと誘惑は、慎重に監視されるべきである。
 
  ・良い記事や写真ができる紛争に対する願望と、紛争を防ごうとする人間としての衝動が葛藤を起こすことを予期する。

    「パトロール中の兵士より、血に染まったシャツのほうがずっと絵になる。すばらしい写真のためには傷ついている人が必要だが、人には傷ついてもらいたくない。」――写真家Bill Gentile

  ・一般に、ジャーナリストは対象との心の距離を保とうとするが、ちょっとした人道的な役割が回ってくると、それが時にはつながりたいという欲求の糧になることがある。

    例えば、ある女性記者は、イラクでの取材の途中で、汚らしい居住区域に住んでいる家族にまっさらなシーツを提供したいと思い、バグダッドの市場にまで買い物に行って提供した。これが、克服できない悲劇にしか思えなかったことに、わずかな達成感を与えた。彼女が助けた人は、彼女の記事を決して読むことはないだろう。しかし、彼らはまっさらなシーツを抱えて戻ってきたジャーナリストのことを忘れないだろう。

  ・同時に、親しくなりすぎることのリスクも認識する。ニュースに登場する人は、その生活を取材する人と非常に親密なつながりを感じるようになることがあり、心の中で苦悩と危険が強くなる中では、相手の感情に報いたいという気持ちが強まる。しかし、適切な境界線を尊重するように注意しなければならない。個人的に支援すると約束して実行できなかった場合、相手はそれを非常に苦痛を伴う裏切りと感じる。
 
  ・これが与えられた仕事であり、あなたの人生の全てではないことを理解することが重要である。また、出発予定日は変更になるかもしれないが、それを定めておくことが重要である。そうすることによって何か楽しみになるものができ、活動のペースを整えることができる。
 
  ・熱意がなくなったり、危険な選択ができなくなったり、過度に飲酒したり、眠れなくなったという時が来た場合には、去ることができるようにしておくべきである。どのような仕事であっても、自分の人生ほど価値のあるものではない。
 
  ・最も成功している戦地特派員は、報道の対象となる人に対して、敬意と共感の双方を持っている。彼らは過酷な状況に耐え、自分を表現する方法を他に持たない人たちの言いたいことを伝えようとする強い使命感を持っている。


■家に戻る

兵士が家に戻るときの苦情や心配は、ジャーナリストでも同様であることが多い。つまらない世間話、車が故障したり帰宅の途中で牛乳を買うことを忘れたくらいで大騒ぎする親類に、以前は寛容であったのに我慢ならないのである。

  ・編集者や同僚が、戦争ジャーナリストの記事、写真、体験に心から関心を示すとよい。ニュースの取材をするために命をかけた場合など、同僚からの好奇心不足はしばしば一般社会の無関心と結合し、本当に心を痛めるものとなる。
 
  ・家に戻ることがますます困難になることがあることを認識する。戦争を報道することによって与えられる目的意識をつなぐのは容易ではない。ジャーナリストがこの心配に耐え、世間話や普通の生活に同化して戻っていくべきなのか、または海外で次の仕事をつかまえるべきなのかについては公式はない。この「崖から落ちる」感じは、戦地特派員者の間で共通しており、多くの場合、彼らがカオス状態に居続けることの背後に、この感情が原動力として働いている。
 
  ・類似した体験をした人と時間を過ごすことは、しばしば助けとなる。同じ種類のことを体験した人ほど、あなたの見たこと、体験したことを理解してくれる人はいない。もちろん、交戦地帯の同僚すべてと本当に気が合うというわけにはいかないだろう。しかし、特に初めて戻ってきたときには、他の人がどのように適応したのかについて話をすることは有益である。信頼して何でも話せる人が見つかったのであれば、それは黄金のようなものである。そのような人を捜し出し、良い気持ちも悪い気持ちも全部吐き出してみる。
 
  ・移行をうまく行うために、何らかの構造が必要な人もいる。そのような人は、家に帰って何かを作ったり、小さなプロジェクトを引き受けることによって最もよく回復する。ある記者は、子どものジャングルジムを作り直した。他の記者は、ビーチにただ横たわったり、ハイキング旅行などのように半構造化されたものを好む。
 
  ・次にすることは、どんなものでも失望することを覚悟しておく。ほとんどの人々が、虚脱と、自分がすることがもはや重要でないと感じる期間を経験する。大きなニュースの最先端、あるいは歴史の一部にいるのだということを確認できなくなる。通常、そのような気持ちは数ヶ月以内に治まる。治まらない場合、専門家の援助を求めて洗いざらい話すことは良いことである。
 
  ・同様に、地域社会のすべてに少し反感を覚えることがある。食料が溢れ、贅沢すぎるように思える。それらは歓迎すべきことなのだが、何週間も我慢した後には過度に見えるのである。
 
  ・ストレスの徴候が1ヶ月または6週間以上続いていることに気づいた場合には、トラウマの専門家かカウンセラーによる専門的な支援を考える。たった一回のセッションでも、適切な状況に物事を置く助けになることがある。


■編集者と管理職

編集者と管理職は、交戦地帯に送った人の役割と要求をよりよく理解する必要がある。記者の不安、恐怖、そして時として混乱を許容することができる必要がある。

  ・編集者は、いつ現場のジャーナリストが休憩を必要とするのか認識するべきである。支えになりたいと考える編集者もいるが、彼らの試みは気が利かず、しばしば意図しない無神経さで、傷つきやすい領域に入り込んでしまう。
 
  ・管理職は、部下をいかなることの中に送り出したのか、その人たちが誰なのかについて教育される必要がある。彼らは記者の動機と要求を理解する必要がある。
 
  ・全ての会社の請求書の支払いを保証し、ジャーナリストに十分な現金とクレジットカードの預金があるといった簡単なことが大きな役割を果たす。
 
  ・可能である場合には、入稿されるニュースを扱うニュース編集室のチームを引き合わせ、締め切り、出勤時間、特殊な用件についてガイドラインを詳しく説明する。スポーツやゴシップ記事に関する無駄なおしゃべりなど、本部ではつまらなく思われる会話でも、任務を行っている人たちにとっては、現実との正しい感覚を維持するための結びつきとなることもある。
 
  ・編集者は期待していること、例えば、記者やカメラマンがそのニュースにどの程度の期間とどまるのか、どの程度の間隔で原稿や写真を作成することが期待されているのか、どの程度の頻度で出勤しなければならないのか、などを明確に定めなければならない。
 
  ・明確な「休憩時間」のスケジュールを配置することは、紛争地域でもその後にも良い。「休日」を持つのは、しばしば困難である。しかし、ただ小説を読み、締め切りの心配をしないで一日を過ごすことは、発作的に取材をしたり、写真を撮ったり、電報を読んだりするよりもよい。
 
  ・連絡が取れるようにするために、デスクが置かれていない場合には現場の全ての特派員が2人以上の編集者の番号を控えておき、非常時または緊急のニュースの決定の場合に常に確実に連絡がつくようにしておく。同時に、電話をかける前に時差を考慮する。ほとんどの戦争ジャーナリストは、何時間も時差がある場所にいる編集者からとんでもない時間に電話がかかってきて、これがさらなるストレスとなったり睡眠妨害となった経験がある。デスクからの電話で起こされるのではないかと心配している状態では、とても眠るどころではない。
 
  ・記者と話すとき、編集者は彼らの健康、心の状態、そして彼らが十分な食事と睡眠を取っているか尋ねることを忘れてはならない。そして、彼らの言葉に耳を傾ける。
 
  ・現場のほとんどのジャーナリストは、ニュースを物にし、生き残り、まともな人間でいられるように最善を尽くしている。編集者がニュースについて話し終えたときに、「それで、明日はどんな記事がかける?」と尋ねる場合がある。これは、一日の仕事をやり終えることがいかに大変だったのか、ということに対して共感が足りないことを反映している。やり終えた仕事に称賛の言葉を添えて士気を高めることは重要である。称賛によって、気分が盛り上がり、記者が本国とつながっていると感じられるようになることがある。
 
  ・ジャーナリストが戦争、災害、または攻撃を報道している最中には、世界で他に何が起きているのか気づかなかったり、コミュニケーション手段が不十分であるためにそうした情報を手に入れられないことが多い。これは断ち切られているという感じを助長する。記者は、自分の報道が全体像のどこに収まるのかという感覚を与えられることによって、より大きなニュース収集活動の一部であることを感じることができる。
 
  ・可能な場合は、少なくとも一人の編集主任が、最低一回は戦争または災害の地域を訪れるべきである。これによって、編集者がニュースのことを気にかけているという合図が送られ、編集者が取材の障害を査定し、特派員から何が要求されるかよりよく判断する機会が与えられる。
 
  ・映像編集者は、何日も何週間も編集室に詰めていることがあるので、管理職または編集者として確実に目を配る。自分の機器と一緒に部屋に籠もっていると、彼らは休憩もとらずに、催眠術にでもかけられたように素材を前に座り続け、取りつかれたように誰も気づかないような小さな作業を行おうとすることがある。自らの責任で、彼らが休憩と、仕事から離れる時間を確実に取れるようにする。
 
  ・大きな報道が終わった後、あるいは現場から人が戻ってきた場合には、その人の貢献が認識されるような、ある種のイベントを開催するのもよい。たとえば、編集主任と昼食を共にしたり会話をすることは、自分が高く評価されていて、前線からニュースを提供しなくなった今でも冷遇されることないのだという気持ちにさせてくれる。

地元での社会的なネットワークと人間関係は、より広範なサポートの鍵となる部分で、個々のジャーナリストとチームを精神的に維持し、最も能力をよく機能させられるようにしてくれる。


家族とパートナー

    遠くにいるとき、あなたは帰省を楽しみにしている――そのことを考えることは、時として安らぎとなる――あなたは歓迎されること、笑顔、平穏、家にいることを考える。
    ――仕事のために家を頻繁に不在にすることに慣れている、ある戦争記者。
   
    彼が遠くにいる間、雑用、子どもの世話、自分の仕事など、することが山ほどある。だから、彼が戻ってきたら、そのまま仕事を続けてもらい、出かけてもらい、家庭に縛られる状態から遠く離れていてもらいたい。
    ――同じ戦争記者のパートナー。

ジャーナリストが惨事と紛争の取材のために現地に送られるとき、家に残るパートナーや家族にとって、それがストレスとなり、孤独な経験となることもある。地元での社会的ネットワークと人間関係は、より広範なサポートの鍵となる部分であり、個々のジャーナリストとチームを精神的に維持し、最も能力をよく機能させられるようにしてくれる。


■仕事の前

知らないことは、知っていることより恐ろしいことが多い。どのようなことが関わっているのか、どのような危険があるのか、どのような予防措置がとられているかなど、仕事について一緒に話し合うことは、パートナーのためになることがある。

  ・編集者とニュースデスクが、家にいるパートナーと定期的に連絡ができるように手配するとよい。24時間毎日使える電話番号を名前と一緒に持ってもらい、パートナーが支援や情報を得るためにいつでも電話できるようにするのもよい。
 
  ・そこに行ったことがあるジャーナリストは、最悪のケースも含み、先を見越した計画によって心の平静が得られることを知っている。報道機関は、非常時に誰に電話すればよいのか、誰に電話してはならないのかについて、正確に知っておく必要がある(ジャーナリストは複雑な私生活をもっている可能性がある)。
 
  ・職場を、パートナーと家族にとってなじみ深い場所にする。任地に赴く前に彼らを職場に招待し、同僚に会って顔と名前を知ってもらい、どのように物事が行われているのか理解してもらう。
 
  ・子どもには、なぜパパやママが遠くに行くのか、分かりやすくはっきりと話して聞かせる。質問をさせて、あらゆる恐怖を表現させる。ただし、どのくらい詳しく知る必要があるのかについて慎重に考える。パートナーの職場を訪問するとき、子どもを連れていきたいと希望してもよい。
 
  ・比較的幼く、教室で苦痛を示すことのある子どもの場合、パートナーがしばらく遠くに行っていることを学校に知らせるのも良いアイディアである。
 
  ・危険な仕事を拒否しなければならないと感じる人には、それなりの理由がある場合がある。例えば、子どもができたばかりで、児童殺人犯の裁判の報道に自分がどのように対応したらよいか不安を感じている場合もある。すでに非常にストレスが多い仕事をこなしてきて、息抜きの期間を必要としている場合もある。編集者は、同僚が不愉快と感じる仕事を受け入れるように圧力をかけてはならない。


■仕事の間

  ・家にいる親族や子どもと定期的に連絡できるような計画を持つことが重要である。電話、Eメール、携帯電話、携帯メールのいずれでもよい。期間を念入りに選び、それを貫く。これによって、家族の心配が和らぎ、デスクが計画を立てる助けにもなる。
 
  ・パートナーと配偶者は、愛する人の仕事について、信頼できる職場の同僚から個人的に情報を送り続けてもらうこともできる。ほっとするような短い電話で家がどのようになっているのか聞くことは非常に重要である。
 
  ・報道機関は、家に残っている配偶者やパートナーたちが互いに連絡できるように支援することもできる。彼らは、非常に似た体験をしているが、一人で寂しくしている場合もある。
 
  ・犠牲者が出るような惨事があったことをニュースが伝える場合には、安心させるために迅速にパートナーに連絡する。しかし、悪いニュースを伝えなければならない場合には、細心の注意を払わなければならない。ダートセンターのウェブサイトには、この分野について最良の実践方法に関するガイドラインがある(「悪いニュースを打ち明ける」:
   http://www.dartcenter.org/articles/books.breaking_bad_news_00.html)。
 
  ・あなたが家にいるパートナーであるならば、家族や友人にサポートを頼んだり、安心のためにパートナーの職場に電話して確認することをためらわない。また、同様の状況にある他の人を捜し出すのも一つの考えである。同じ立場にいる人と話をすることは、大きな違いをもたらす。


■仕事の後

家庭生活に再び入っていくことは、家を出て遠くへ行く以上に、人間関係上のストレスとなり、かつ、危険であることが多い。双方が移行を円滑にするために何が必要か話し合うことは有益である。

  ・可能である場合には、ジャーナリストはゆっくり社会に戻れるように提案する。それは、直接家に帰るのではなく、2、3日良いホテルで過ごし、同僚または友人が間近にいることが理想的であるが、必要であれば一人で息抜きをするのも良い案である。これが戦争の強烈さと家庭での生活との間の緩衝材になってくれることもある。ただし、パートナーが理解を示し、それに賛成であることを確認しておく必要がある。
 
  ・帰宅したら、互いに対し忍耐と敬意を持つ。家族がしばらくの間、あなたのいない生活をし、あなたとは別に日常を展開してきたことを思い出すことが重要である。パートナーがあなたの以前の責任を引き受けてくれていて、子どもはあなたが側にいることに慣れないこともある。
 
  ・早いうちに何回か休業期間を計画し、元のつながりに戻し、一緒に普通のことをできるようにする。話をする、ただし感情や苦悩の「投げ売り」にならないように気をつける。
 
  ・戦争地帯から戻った人は、セックスが困難になることが多い。親密さはなじみのないもの、あるいは心地よくないと感じることがあるので、すぐに全てが非常にうまくいくと期待しない。

ストレスが多い旅行の後に、家族のいる同僚は、家で元のつながりに戻る必要があるだろう。管理者はそのようにする時間を許すべきである――そして、これらの移行がどれほど挑戦的であるのかよく理解していると知らせたいと思うことである。


トラウマの映像を取り扱う

外傷的な映像を放射線だと考えてみる。いずれも、肉体と精神に対して客観的で避けられない影響を与える。原子力作業従事者のように、ジャーナリストにはなすべき仕事がある。しかし、放射線と同じように、曝露を最小限とすることが最良である。以下のアイディアも役立つ。

  ・現場で素材を集めるジャーナリストと対照的に、映像や文章「だけ」を扱う仕事をしている人は、忘れられがちである。これは、技術的なサポートを行う同僚にも映像編集者にもあてはまる。他の人たちと同じように彼らも、トラウマへの通常の反応、すなわち、人によっていかに対処が異なるか、時間が経つにつれて衝撃がどのように蓄積されるのかに関して訓練を受け、情報を知らされるべきである。
 
  ・生々しい映像を見なければならない(反復を含む)ときには、職責を持つ編集者は、映像を見る可能性のある人すべてに対して健康への警告が消されていることを確認し、目をそらせたり、モニターを消すことができるようにしておく。
 
  ・音声が最も悪影響を及ぼす可能性が高い。チームの中で編集のために映像を見て選択をしなければならない人については、確実に音量を下げたり消したりすることが助けとなることもある。
 
  ・素材を待っている人は、既に映像を見た人から注意すべき点ついて教えてもらう必要がある。時間的に切迫していても、辛抱して理解するように努める。
 
  ・組織とニュース編集室は、生々しい素材がどこに保存されているのか、あるいは保存されているのかどうか、シフトにかかわらずこのような素材が不注意によって見られないことを誰が保証するかについて、明確なガイドラインを定めるべきである。このような素材の記録は、一回限りにすべきである。
 
  ・この素材を扱う人は、自分の体験について互いに話し合うことが奨励されるべきである。特に悪い期間の後には、チーム全体で検討する。
 
  ・できれば、暴力的な映像を扱う仕事場には外の世界へ通じる自然の窓が必要である。本物の空の断片が見えるだけの窓でもよい。人間の肉体と精神は、自然との接触によって自然になだめられるので、草花や観葉植物もよい。
 
  ・コンピューターで仕事をする人は誰にもあてはまることだが、暴力的な映像を扱う人は特に頻繁にスクリーン休憩を取るべきである。喫煙家に倣って、定期的に建物の外に出て新鮮な空気に触れるように努める。ただし、ニコチンとカフェインは生理的覚醒と不安感を高める作用があるので、注意が必要である。


女性、暴力と戦争

ニュース編集室の文化は、男性記者も女性記者も大きな違いはないという仮定で動いていることが多い。そのような面があるのは確かである。しかし、ジャーナリズムで働いている女性が持つ安全と健康への懸念は、男性記者には共有されていないものである。敵対的な環境や紛争地域では、とくにそうである。

女性ジャーナリストが直面する困難は見落とされがちである。フリーで働いている場合には、特にその傾向が強い。本章のアイディアは、国際ニュース安全協会(INSI)と共同で、ヨーロッパのダートセンターによって開発されたものである。

  ・証明文化:女性は、「男と同じくらいタフ」であることを証明しようとして、不必要な危険を冒すことがある。男性と張り合うためには、より一生懸命働かなければならないと感じていることもある。女性ジャーナリストはサポートや保護に対する特殊な要求について、同僚と(男性だけでなく女性とも)議論し、これらが確実に満たされるように奨励されるべきである。
 
  ・ハラスメント:特に紛争地域では、女性ジャーナリストが同僚や情報源と近接した部屋に寝泊まりしたり、不足がちなホテルの部屋や乗り物、テントを共有することがある。そして、時には歓迎されない性的関係を迫られる。編集者と同僚はこの難題を認識し、女性記者から苦情があった場合には、すぐに対応できるように準備をしておく。言うまでもなく、全てのスタッフがそのような行動は容認できないことを知るべきである。
 
  ・強姦:これは女性ジャーナリストが常に持っていて、通常は口にはしない恐怖である。戦争は暴力であり、暴力はあらゆる種類の攻撃行動を助長する。強姦は非常に現実的な脅威であるが、男性上司にそのことを話す女性はほとんどいない。起こるか否かに関係なく、多くの羞恥心が伴うことがある。また、女性は問題を持ち出すだけでキャリアに悪影響が出るかもしれないことを恐れる。繰り返すが、編集者はこの問題に敏感にならなければならない。そして、仕事に向かう女性とその恐怖について話し合い、自分を守るための訓練や方法について議論するべきである。
 
  ・防弾チョッキ:これらは通常、男性のために作られており、女性が身につけるには大きく、形状も異なっている。自分の身体に合わない防護服を着ていると、背中や首の負傷の原因となる場合がある。さらに悪いことに、重すぎるという理由から防弾チョッキを全く使用しない女性がいる。編集者はこの身体的な違いを認識し、女性の体に合う防弾チョッキが使えるようにすべきである。
 
  ・女性の健康:ダートセンターとINSIによって実施された女性戦争特派員の調査では、ストレスが多い仕事の中、妊娠中の女性ジャーナリストが流産してしまい、その事を職場の誰にも言わないことが決して希ではないことが明らかになった。また、より日常的な月経の問題も厄介な場合がある。女性はタンポンや生理用ナプキンを要求することが恥ずかしいと思うことがある。管理職や男性の同僚は、そのような物資が日常的に供給されるようにイニシアティブを取るべきである。
 
  ・慎ましさ:多くの男性とは異なり、ほとんどの女性ジャーナリストが用を足すとき、どこか隠れられる場所(低木、壁、溝など)があった方がよいと考える。急に尿意を催さないように、仕事前に水分を摂取しないことがある。脱水症状を起こす危険があるので、男性女性いずれにも勧められることではない。男性の同僚はこれを認識し、可能である場合には常に女性の同僚が安心できるような解決策を見つけられるように援助する。
 
  ・人間関係と家族:交戦地帯で働く女性ジャーナリストの多くは独身である。母親であり、家では育児の責任を持っている人もいる。女性ジャーナリストの人間関係と子育ての体験は、男性の同僚と非常に異なっている場合がある。たとえば編集者は、誰に任務に向かうように頼むか、どのくらいの期間行ってもらうかを決定するとき、これらの必要性と、女性の同僚がどのようなサポートと理解を必要とするのか考慮に入れるべきである。
 
  ・土地の慣習:仕事の前に、女性従業員とその管理者は、女性にのみ適用される土地の慣習も確実に知っておくべきである。たとえば、イスラム教の国を訪問するのであれば、女性はヘッドスカーフとチャドルを持参すべきである。いくつかの文化では、ぬれた髪で外出することが性的な合図と誤解されることがある。
 
  ・個人の安全:独身女性の中には、結婚指輪をはめていれば歓迎されない性的な注目を受けずにすむと思っている人もいる。法律上の問題がなければ、自分用の防犯ブザーやトウガラシスプレーを持ち歩くのが役に立ち、心強いと考える女性もいる。編集者と管理職は、どのような装備が利用可能か認識し、女性スタッフにしかるべき情報を提供しなければならない。また、彼女らが自衛のための訓練の価値を試してみようと希望することもある。


アルコール:どの程度で摂り過ぎか

自分自身や同僚が健全な量以上のアルコールを摂取しているかどうか、どのようにすれば知ることができるのか。ビールでは半パイント(250ml)、普通のワインでは小さなグラス1杯(125ml)、アルコール濃度40%の蒸留酒では1メジャー(50 ml)をアルコールの1単位と大まかに定義し、英国国民健康保険は以下のように記している。

  ・男性は週21単位以上(かつ、1日4単位以上)のアルコールを飲むべきではない。
 
  ・女性は週14単位以上(かつ、1日3単位以上)のアルコールを飲むべきではない。
 
  ・妊娠中の女性。週に1、2回、1、2杯(1、2単位)のアルコールを飲む程度であれば、胎児に危害はなさそうである。しかし、確実に安全な許容量は知られていない。したがって、多くの女性が妊娠中にはアルコールを僅かしか飲まないか、全く飲まないことを選ぶ。

主観的ではあるが立証されている飲み過ぎの測定法は、CAGE質問紙と呼ばれる。

  ・飲酒量を減らす(Cut down)べきであると感じたことがありますか。
 
  ・人に自分のアルコール摂取量についてとやかく言われるとイライラ(Annoyed)しますか。
 
  ・飲む量について罪悪感(Guilty)を感じますか。
 
  ・朝、「目覚まし」(Eye-opener)としてアルコールを飲まなければならないときがありますか。

これらの質問に2つ以上「はい」と答えた場合、アルコール依存症の可能性があり、飲酒の制限を考えてもよい。


より詳しい文献

出版物

Feinstein, A. (2006). Journalists under Fire. Johns Hopkins.

Goleman, D. (1997). Emotional Intelligence. Bloomsbury Publishing.
[日本語訳:土屋京子(訳)  1996 『EQこころの知能指数』講談社]

Herman, J. (1993). Trauma and Recovery, from Domestic Abuse to Political Terror. Basic Books.
[日本語版:中井久夫(訳) 1996 『心的外傷と回復』みすず書房]

Knightley, P. (2003). The First Casualty, The War Correspondent as Hero, Propagandist, and Myth-maker from the Crimea to the Gulf War II. Andre Deutch.

Shay, J. (1994). Achilles in Vietnam. Touchstone.

Simpson, R. Cote, W. (2006). Covering Violence: A Guide to Ethical Reporting About Victims & Trauma. Columbia University Press.

Van der Kolk, B., McFarlane, A.C., Weisaeth, L. (1996). Traumatic Stress - the Effects of Overwhelming Experience on Mind, Body and Society. The Guilford Press.


ウェブサイト

・ジャーナリズムとトラウマのためのダートセンター
  www.dartcentre.org

・国際トラウマティック・ストレス学会
  www.istss.org

・国際ニュース安全協会
  www.newssafety.com

・ジャーナリスト保護委員会
  www.cpj.org

・www.journalism.org

・www.poynter.org

・www.crimesofwar.org


謝  辞

ダートセンターは、本小冊子作成に協力してくれた以下の人たちに感謝する。

・Elana Newman。オクラホマのタルサ大学心理学准教授、執筆当時国際トラウマティック・ストレス学会会長。

・Neil Greenberg。精神科医であり、英国王立海軍軍医中佐。

・Sarah Ward-Lilley。BBC Newsgathering編集長。および同部署の彼女の多くの同僚。

・Frank Smyth(ジャーナリスト保護委員会、ニューヨーク)とJoe Hight(ジ・オクラホマン紙)。オリジナルでありかつ現在も使用されている、惨事とジャーナリストに関するダートセンターの簡潔なガイドを執筆してくれた。

・ニューヨークのコロンビア・ジャーナリズムスクールのJudith Matloff。「女性、暴力と戦争」の節について、多くのアイディアを提供してくれた。

・Alissa Johannsen Rubin。2005年にダートセンターが招集したブレトンウッズでの戦争記者による意見交換の要約を作成したのは彼女である。この要約は、本冊子における「武力紛争と戦争を報道する」の節の基礎を構成している。

・国際ニュース安全協会のRodney Pinder。暴力的な映像の取り扱いについてのロンドンでの最初の討論を共同で行ってくれた。

・ロンドンを拠点とする夫婦の組織One Plus Oneを持つPenny Mansfield。家族とパートナーに関わるサポートのアイディアを生むために密接に仕事をした。

・ロンドンのBBCのRos Toynbee。情動に配慮したインタビューのための専用の訓練アプローチを共同で開発した。

・そして、ダートセンター内部では、ダートセンター・オーストラリアの責任者であるCait McMahonとそのチーム。彼女たちは、2005年のスマトラ沖地震による津波の報道にもとづく多くの中心的なアイディアを提供してくれた。また、ダートセンター創始者Frank Ochberg、セラピストのKate Nowlan、ジャーナリストのDavid Loyn、セキュリティコンサルタントのRupert Reid、ダートセンター全体の事務局長としてBruce Shapiro、およびボーンマス・メディアスクール校長で元ロイター記者のStephen Jukesを含むダートセンター・ヨーロッパの執行委員会。これら多くの人たちに感謝の意を捧げる。

・[本稿では省略] 表紙写真(左から右の順に):イギリス放送協会(2006年度ダート・アワードを受賞したレポート「サラエボへの帰還」から)、Angela Peterson/ジ・オーランド・センティネル紙(1994年度ダート・アワード特別賞「Philip Chandlerの奇跡」から)、Matt Rainey/ザ・スターレッジャー紙(2001年度ダート・アワード特別賞「火災の後」から)

 


                    DART CENTRE for journalism & trauma


    ダートセンターは、シアトルのワシントン大学を拠点とし、イギリスとオーストラリアに支部があり、
   
      ・惨事と暴力の、倫理的で、感性があり、知識に基づく取材を促進するためのフォーラムと情報源である。
     
      ・トラウマとその影響の科学と心理学における、現役のジャーナリストとジャーナリズムの学生の教育を支援する。
     
      ・トラウマを取材するジャーナリストとチームの組織的なサポート、同僚によるサポート、個人的なサポートを開発し促進する。
     
      ・ジャーナリズムとトラウマの分野の研究と最良の実践を支援し広める。
   
    このハンドブックは、何年間にもわたって集められた、米国、ヨーロッパ、オーストラリアのジャーナリストとトラウマ専門家の経験と知恵を利用したものである。最新版は、心理療法家でありBBCおよびロイターの元記者でもある、ダートセンター・ヨーロッパの責任者 Mark Brayne によって編纂、編集された。